代表あいさつ

株式会社 会議室コンシェルジュ 代表取締役社長 﨑山 信夫(さきやま のぶお)

私が『株式会社 会議室コンシェルジュ』を設立したのは2013年。
おかげさまで多くのお客様にご利用いただき、多くのオーナー様との出会いがあり、会社・スタッフともに様々な経験をさせていただきながら成長してこられたのではないかと感じております。
貸会議室業というのは、単に机と椅子が並んだ部屋をレンタルするビジネスではありません。そこには多くの人が関わっています。まず会議室を運営するオーナー様、利用してくださるお客様がいます。そしてお客様の中にも、会議をする方もいれば、ご自分のビジネスをしたり、人を集めてセミナーを開いたりする方もいます。こうして人が集まり、なにかが生まれる場所を提供するのが貸会議室業であると私は考えています。
会議室コンシェルジュが皆様にとって、多くの方と交流し共感しあえる場、新しいビジネスが生まれる場であってほしい、それが設立当初からの私のゆるぎない思いです。さらに、働く女性たち、お母さんたちが輝き、子どもたちが笑顔で過ごせることを望んでいます。
この思いは、これまでの経験と、多くの方との出会いから学んだ、私がビジネスをしていくうえで大切にしていることです。

ここに至るまでに私は本当に多くの経験をしてきました。寄り道の多い人生だと思ったこともあります。けれども、いま思えばそれはすべて今に続く一本道でした。ここで、私が会議室コンシェルジュを設立するまでの歩みについてお話させていただきます。

多摩の自然の中で育って

1973年に生まれ、東京都小金井市で父・母・姉の4人家族の長男として育ちました。小学生のころは学級委員に立候補する積極的な子どもでした。卒業文集には将来の夢として「社長になりたい」と書いたことを覚えています。
多摩の自然の中で走り回り、泥だらけになって元気いっぱい遊んでいた私が、現在「多摩エリアのビジネス活性化」を目指す会社を設立したのは、幼いころの思いが根底にあるからかもしれません。

働くとはどういうことか経験した高校時代

高校時代には野球部で週6日、1日5時間もの練習をしていましたが、さらにアルバイトにも精を出しました。
毎朝、3時に起きて朝刊の配達。暑い日も寒い日も自転車で配り続けました。さらに18時から22時までファミリーレストランで皿洗いを週4日。本当に忙しい毎日でした。
そんなある日、吉祥寺の町を歩いていて運命的な出会いをしたのです。
それは一軒のジャズカフェ。
アルバイト募集の貼り紙もありませんでしたが、とにかく「ここで働きたい」という思いに突き動かされて、気づいた時には扉を開けていました。
「バイトは募集していないし、高校生はダメ」と門前払いでしたが、それでも運命的な出会いと確信した私はあきらめたくありませんでした。
そこで「1週間でいいからためしに働かせてください!それで働きぶりが気に入らなければ断っていいです!」と懇願し、1週間だけ働かせてもらえることになったのです。1週間頑張った結果、アルバイトとして正式に雇っていただくことになりました。
このアルバイトで「人が集い、つながりが生まれる場」に関心をもった私は、もっとたくさんの人とつながれる仕事をしてみたいと思いホテルの仕事に着目しました。求人用の連絡先もわからなかったため直接フロントに行き「配膳の仕事をさせてください」と直談判しました。もちろん初めは断られましたが、あきらめずに何度も通い詰めて熱意を伝え、ようやく雇ってもらうことができました。

思えばどちらも、若さゆえの無鉄砲でしたが、あきらめずに頑張れば願いは叶うと感じた印象深いできごとでした。
高校3年間で学んだことは今の自分に大きく影響しています。仕事をするにはとにかく長時間働くだけではなく、自分の能力を高め、仕事の質を上げることが大事だということを知りました。また、自分でお金を稼いで使うことで、経済の仕組み、ビジネスの楽しさにも気づきました。

留学を夢見て

高校卒業後は外国語の専門学校へ進みました。グローバルな流れを感じ、これからのビジネスには英語が必要になると思ったのです。
専門学校時代には赤坂のバーでアルバイトをしました。そこにもやはり、人が集まるということの楽しさ、素晴らしさがありました。そして自分なりに考え、工夫しながら仕事をした結果、お店をまかせてもらえるようになったのです。そのおかげで、自分で人を集めること、マネジメントすることのおもしろさを味わい、責任ある仕事をする喜びを知ることができました。ここでの経験もいまの自分の礎になっています。
もちろん、学業も怠りませんでした。もっとリアルな英語に触れたいと、アメリカ留学を目標に努力を重ねました。ところが、いよいよ下見のため渡米したとき、父が他界してしまったのです。あまりにも突然の出来事でした。旅行中で死に目に逢えなかったことも大変なショックでした。私は留学どころではなくなってしまい、20歳の夏、進路を変更することとなりました。

会社員となり、空き物件問題に直面

専門学校を卒業して入社したのは、用地の買収管理をしている不動産会社でした。最初の仕事は債権の回収。現在のようにインターネットもない時代、入社間もない私には、どのように回収したらよいか全くわかりませんでした。あるのは、自分の足と行動力のみ。ですから、とにかく債権者の家や店舗をまわって、地道に債権回収をしました。

そんな下積み時代を経験したあとは、不動産管理や地権者管理を担当。そこで、不動産の空き家問題に直面したのです。
空いている土地をどうにか有効活用できないだろうかと考え抜いた結果、思いついたのは時間貸し駐車場。さっそく企画を提出し、新規事業として立ち上げに携わりました。その会社では他にも、大手ホテルの清掃部門や、ビルメンテナンス事業の立ち上げを行いました。
自分は0から1を生み出す仕事が好きだ」と気づいたのはこのころです。新しいことを生み出したり、取り入れたりすることは今でも一番好きな仕事ですね。

自分自身でなにかを生み出したいと独立を決意

会社生活を通じ、実にさまざまな挑戦と経験をさせてもらいましたが、だんだんと、もっと自分の発想で、自分の裁量で、なにかを生み出してみたいと感じるようになりました。そこで独立を決意しました。
独立を考え始めたころは、携帯電話の普及が進んでおり、まさに最盛期を迎えそうな時代でした。私は迷うことなく、携帯電話の販売会社を作ることを決めました。しかし、当時はまだ25歳。お金も人脈もありません。
このハンデをなんとかできないかと考えた末、飲食店などの店舗を間借りさせてもらって販売することにしました。
この経験は今の「スペースのシェア」に通じる発想です。
このビジネスは成功し、都内近郊で8店舗まで拡大することができました。このときの多店舗経営という経験が、現在の貸会議室の多拠点運営のノウハウに活かされています。

熱意のある人材が、ともにビジネスを発展させてくれる

そこまで店舗が増えると問題となるのが人材です。
自分一人でできることには限界があります。お客様に満足していただき、会社を成長させていくには、各店舗、本部のスタッフひとりひとりの力が重要です。社長として私が考えなくてはならないのは、どんな人材にどう活躍してもらうかということでした。
そこで私が着目したのは、中卒や高校中退の方たちです。営業や接客業につきたいという熱意があっても、限られた職種にしか採用のチャンスがないという若い人たちを登用してみたのです。その結果、彼らのフレッシュな接客はお客様にも大好評となりました。
自分の理想や目標は、自分一人では実現できません。達成するためには、熱意をもってともに働いてくれる人材が大事だということを痛感しました。

また、私は以前から海外に起業してみたいという思いがありました。そこで思い出したのが、会社員時代にホテルの新規事業でタイの人々を登用したことです。当時、彼らの誠実な働きぶりには感心させられました。私は28歳でアジアマーケットのハブでもあったタイに起業し、携帯電話の店舗を2店舗と、日本のカルチャーカフェを経営しました。

ふたたび、日本に戻って

30歳のとき、日本の携帯電話の販売代理店上位の会社に、取締役営業本部長として迎えていただき、5年間で年商40億円、従業員数130名以上の規模にまで同社を拡大させました。その後、新卒で働いていた不動産会社から声をかけていただき、取締役として在籍しました。

大きな組織で重要な役割を与えられることは、やりがいも安心感もあります。けれども、自分の手で会社を立ち上げて大きくしていくことへの思いが、私の中に変わらずありました。

貸会議室ビジネスとの出会い

そんな中、38歳を迎えたときに出会ったのが貸会議室ビジネスでした。
携帯電話会社時代の上司が、自分の会社で貸会議室業をしていたのです。新卒で働いた不動産会社で空き物件問題を肌で感じたこと、自分で会社を立ち上げたときスペースのシェアが有効であると知ったこと、すべてがひとつにつながった思いでした。

空いているスペースを有効に活用することで、オーナーは新しい収益を得ることができる。もともと持っているスペースの貸し出しであるから、ユーザーに安く貸し出すことができる。オーナー、ユーザーどちらにも感謝されるビジネスが貸会議室業だと感じました。

そこで、貸会議室事業の譲渡を受け、株式会社会議室コンシェルジュを設立しました。2013年9月、40歳の時でした。

皆さまに共感していただける会社を目指して

これまでの道のりの中で出会った全ての方々から、私は様々な経験をさせていただき、多くを学ばせていただきました。私がこれまでたくさんのチャンスをいただいてきたように、この会議室コンシェルジュが、社員・スタッフにとって未来の自分にチャレンジするステージであってほしいと思っています。

そしてお客様をはじめとする皆さま方にとりましても、弊社が人とのつながりや共感が生まれる場所となれますよう切に願っております。

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